「自然が教えてくれること…」 私の住む福島県の郡山市は安積平野にあり、自宅から車で20〜30分くらい走ると小高い山々が幾つもある。時間の都合がつけば、街の雑踏を離れそれらの山に入り、ゆっくりと自然を散策する。5月ともなれば新緑が映え、木漏れ日が若葉の香りと相まってより一層体にしみ入ってくる素敵な季節だ。人間の造り出す人工的な音は全く聞こえない。聞こえるのは天然の音だけ。山に吹き付ける風が不規則なリズムで山々の木々や草花を揺らし、あちらこちらから小鳥のさえずる声、下方をみると青々とした竹|林がサラサラと西日に照らされながら音を立てている。今、私にとって至福といえるこの時間がとても大切だと思っている。
以前、ある探検家の話しを大変興味深く聞いた事がある。
アマゾンの奥地に入り様々な冒険の後、数ヶ月して日本に帰国すると、当たり前の事がとても不思議に感じるそうだ。まず、目に見えるものの多くが幾何学的な四角や丸で出来ていて、シンメトリーなものに溢れている。これはアマゾンの奥地には考えられないことで、目に見える天然の物体は全て自由曲線でありシンメトリーなものはまずあり得ない(太陽と月は例外として)。大自然の中にいると人間の所有していた丸い時計や四角いノートなどが実に不釣り合いで不思議に感じるそうだ。
音に関しては触れていなかったが、もし冒頭にある様な状態で、耳に入る小鳥のさえずりや、小川のせせらぎの音、風になびきサラサラ鳴る竹林の音。これらの音を聞いて不快と思う人間はまずいないはずだ。ではこれらの音をもし楽譜にしたとするとどうだろう。リズムもメロディーもハーモニーも大変複雑な物になりほとんど意味をなさないと思う。自然界にあるこの曖昧で不安定な要因こそが人間の心を癒してくれる一因だと私は思っている。
音楽の分野にしてもそう言う事が言えるのではないだろうか。エジソンが蓄音機を発明したのは今から約100年くらい前。ちょうどギターで言えばリョベートやバリオスの演奏がようやく録音された頃である。それ以前の音楽は演奏者の生の演奏以外聞けるはずもなかった事になる。現在のようにレコード、CD、テープなどで全くミスのないほぼ完全な演奏を何度でも聴く事は出来得なかったはずだ。わずか100年で大きく音楽という分野が急速に変化してしまっている。これはある意味では素晴らしい革命的なことかも知れないし、音楽も時代の変遷により変化して行く事は当然の事ではあるのだけれども…。わたしはどうしても一抹の不安を感じてしまう。メディアの中において将来は確実に0と1によるデジタル時代になる。いわゆる曖昧な部分がなくなり、音楽という一分野に過ぎないのかも知れないけれども、美的価値を創造・表現しようとする人間の活動に何らかの悪い影響がなければ良いなと思う。
私自身音楽を聴いて、何らかの感動を得る事が出来るのは何故だろうと考えるとき、優れた作曲家の音楽にはある秩序によって音が造形されている。それにとても感心する。秩序がある以上、そこに規則性がある。しかしながら音楽に心を動かされる核心の部分は大体においてその規則の例外の部分に起こっている。いわゆる「作曲家が指示した秩序を演奏者の絶妙なバランス感覚によって、ほど良く乱していく行為」。これを名演奏と呼び、この乱した行為によって生まれた“ずれ”という曖昧な一因に私は美を感じるのだと思っている。
私の生まれ故郷は郡山市の北、福島県のほぼ中央にある本宮町という所だ。西に安達太良山が悠然と聳え立ち、東には阿武隈川が流れている。まさに高村光太郎の「智恵子抄」の舞台である。安達太良山を地元の人たちは通称「ちぢくびやま」と親しく呼んでいる。山頂の形がまさに女性のそれと良く似ている事からそういわれている。そして麓に広がる村々にはオッチェ、バラゼ、セイギ、テーシト、モドンミャ、という地名がある。小さい頃から聞いているのでなんの抵抗もなく、それらの地名をそんな風に呼んでいたが、後に地図を見ても全くのその様な所は見当たらなかった。オッチェは落合(おちあい)、バラゼは原瀬(はらせ)、セイギは才木(さいき)、テーシトは太子堂(たいしどう)、モドンミャは私の生まれた町であり本宮(もとみや)と正式?には発音するのだった。これは昔の農村の人達は文盲であり、人から人へ口伝いで広まった事に起因している。私には安達太良山は「ちぢくびやま」で落合はオッチェ、原瀬はバラゼという“ずれ”のある呼び方が正しいし、とてもその風土に合っている地名だと思っている。ちなみに私の名前は隆(たかし)と戸籍には記載されているが私の母親と兄姉は私のことを“たがし”(TAGASHI)と呼んでいる。“TAKASHI”と呼ばれたことはまだ一度もない。だから本名は“TAGASHI”なのかも知れない。
現代ギター誌 2001年7月号 リレーエッセイに掲載